母が認知症になりまして 〜母が選んだ道〜

はい、母が認知症になりまして。

 

 

ずーっと、黙ってたけど、

 

去年からわたしがちょいちょい娘だけを連れて大阪へ帰っていたのは、

 

父の出張中に母を見れる人がいなかったからです。

 

 

 

 

 

 

子供のころ。

 

 

母は、一人っ子のわたしに構うことなく、ずーっと仕事をしていました。

 

 

母なりの、母が思う、強い子に育てる、そんな教育をされながら育ちました。

 

 

 

泣くな!早くしなさい!

 

 

 

 

 

 

母は、ずーっと仕事をしていました。

 

 

ご飯をたまに一緒に食べていても、ずっと仕事の話をしていました。

 

 

学校の話を母にしたことは、きっと一度もないような気がする。

 

 

 

家族といても、わたしは居場所がなくて、一人ぼっちでした。

 

 

 

 

白は白!

 

黒は黒!!!

 

わたしが白って言うたら白!

 

黒って言うたら黒!!!!

 

 

 

 

母は、わたしがうまれてすぐに体操クラブを設立し、

 

 

強い選手たちを育ててました。

 

 

 

16年前からは、体操の世界ルールを決めるような体操の頂点の組織に、

 

 

日本でそこに選ばれる人はほとんどいない中

 

 

母は、世界から7人の中に選ばれて、16年間やってきました。

 

 

 

 

わたしは、母があんまりにも母らしくないから、

 

母があんまりにもわたしをレールに乗せてきたから、

 

 

レールに乗って生きてきたわたしは、22歳の就職の時に

 

 

何がしたいのか分からないことに唖然としました。

 

 

夢も、希望も、将来も、なにも見えなかったのです。

 

 

 

 

 

 

母をずっと恨んでました。

 

 

 

30歳になった頃、どかーーーーーーーーん!と爆発しました。

 

 

超遅いよね、反抗期(笑)

 

 

 

 

 

レールに乗り続けて、どうしたらいいのか分からないままに、爆発し、

 

 

それでもどうしていいのか分からないままに結婚をし、

 

 

どうしていいのか分からないままに子供を産んだ。

 

 

 

 

子供をうむまでわたしは、ごまかしごまかし生きてきた。

 

 

 

ポーカーフェイスで、「わたしは大丈夫よ!強いよ!」風で

 

 

きっと、ほとんどの人が騙されてたと思う。

 

 

 

 

子供を産んで、ポーカーフェイスができなくなって、

 

スピリチュアルの世界と出会うことになったの。

 

 

 

 

 

 

話は戻して。

 

 

30歳の時に爆発して、今40歳。

 

 

 

1年ちょっと前に、母からかかってきた電話で、母がなんかおかしいことに気づいた。

 

 

 

そこから、症状がちょっとずつ進んできて、今でも「軽度認知症」のレベルだけど

 

 

症状は確実に1年前のそれとは違って。

 

 

 

 

わたしは、絶望した。

 

 

 

「クソババア!!!!!!!!!!ボケやがって!!!!!!!!ズルいやろ!!!!!!!」

 

 

わたしの恨みを本人に果たせないままに、母はさっさとボケちゃった。

 

 

 

 

書いてても泣けてくるけど、この1年ちょっとの間に離婚もして

 

息子と離れて暮らすことも選んで。

 

 

 

 

わたしは、色んな怒りを出してきたの、この何ヶ月。

 

 

 

恨みも、怒りも、それでいいよって、自分に許可を出して怒りまくった。

 

 

 

ボケて分からない母に、めんと向かって言ったりもした。

 

 

ボケやがって!!!!!!!わたしの思いをどうしてくれんだよ!!!!!

 

 

 

 

 

そして、今も、まだちょっと心の中がグニュグニュしてるけど。

 

 

 

 

思ったんだよね。

 

 

 

母は、ボケることを選んだんだなーって。

 

 

母のお母さんは、母が小学校の時に自殺して。

 

おじいちゃんは、超怖くて怖くて。

 

10年前に火事で死んだ。

 

 

そんなおじいちゃんに、長女やからって、強く強く育てられた母は

 

 

すんごい強い人で。

 

 

 

ずっと泣かなかったんだろうなと思う。

 

 

ずっと、強いふりしてたんだろうなと思う。

 

 

 

 

 

無理して生きることを、やめようって思ったんだと思う。

 

 

ボケないと、やめれなかったんだろうなって。

 

 

 

 

でね、さらに思ったの。

 

 

 

人は、無理して生きていると、

 

本当の自分に戻るために、色んなことを選ぶんだ。

 

 

 

自殺すること。

 

 

認知症になること。

 

 

精神病になること。

 

 

病気になること。

 

 

そして、何かにならずに、自分を変えること。

 

 

 

手段は、どれでもいい。

 

今の自分を変えるために、みんな何かを選んで生きてるんだと思う。

 

 

 

 

母も、おじいちゃんに歯向かうことを選ばず、無理することを選んできて、

 

今、認知症を選んだ。

 

 

 

わたしも、母に歯向かうことを選ばずに、無理することを選んできて、

 

今、ありのままのわたしに戻ることを選んだ。

 

 

 

母への恨みなしに、今のわたしはありえないのです。

 

 

母への怒りなしに、わたしは、二人の子供たちに会えなかったのです。

 

 

 

 

 

 

 

今の母は、本当に子供みたいなのです。

 

 

いっぱい泣くのです。

 

 

父と一緒に寝るって、狭いベッドで二人で寝てるのです。

 

 

 

 

父と寝る前は、夜中になって父が寝ると

 

 

一人でマンションの1階に行ってたの。

 

 

何かを探してたんだなって、ふと分かった。

 

 

 

 

何を探してたのかな?って思った時、

 

 

「居場所」って見えた。

 

 

 

 

わたしも、ずっと居場所を探してた。

 

 

母もずっと「居場所」を探してたんだなぁ。

 

 

 

 

 

 

娘の離婚が心労になって、認知症になったんじゃないか?

 

 

とか言う人もいたけども。

 

 

 

アホかっ!!!!!!!!!!笑

 

 

アホも休み休みに言うてくれ(笑)

 

 

 

 

 

 

母が選んだのです。

 

 

 

自殺も、精神病も、認知症も、そんなことしなくて、変わろうとすることも。

 

 

 

 

どれも、みんながそれぞれ

 

「変わるために」

 

「本当の自分に戻るために」

 

 

選んだことであって、

 

 

誰かのせいではない。

 

 

 

 

だから、わたしも、堂々と、正面から、もっともっと望む方に変わろうと思う。

 

 

 

 

 

変わることは怖い。

 

 

だけど、わたしは自殺しないし、精神病にもならないし、認知症にもならない。

 

 

ならば、わたしは自ら切り開いていくやり方しか、今のわたしの中には方法がないんだ。

 

 

 

 

 

だからね、人を哀れむ必要なんてどこにもないの。

 

 

みんな、選びたい生き方を選んでるから。

 

 

 

ルーシーの心配をしなくてもいいし、憐れんでほしくもない。

 

 

憐れもうもんなら、

まじでハゲになる呪いかけといたからな!!!!(笑)

 

 

憐れんでみ、疑うならばw

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、伝えたかった、みんなに。

 

 

 

 

 

わたしは、母のことも、父のことも。

 

 

子供たちのことも、子供たちのパパのことも。

 

 

そして、今ここに生きるみんなのことも。

 

 

 

 

どんな状況でも生きていける、たとえ、自分が引き金になって生まれた環境すらも

 

 

水面下ではそれぞれが選んだ道だと思ってる。

 

 

 

 

 

なんか、久しぶりのブログで書きなぐっちゃったけど。

 

 

 

そんなこんなで、生きてるよ♡♡

 

 

 

 

 

 

まだまだ、クソババア!!!!!!って言ってることもしょっちゅうやけど(笑)

 

 

ボケてるからちょうどええか!くらいに思って、進んでいくからねwww

 

 

 

 

母がその世界ではあまりにも偉大だったから。

 

雲の上の人だとか、神みたいな存在だって言ってくれる人が多くて

 

そんな人が認知症だって、言えなかった。

 

 

 

だけど、そんなわたしらのプライドなんて、もうこれからは必要のない時にきてる。

 

 

そんな時代じゃないし、そんな地球でもない。

 

 

 

ありのままに幸せに生きて、この人生を全うすること。

 

それが、わたしが母に求める、これからの姿です。

 

 

 

 

ちょっとした、今まで黙ってた告白でした。

 

 

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