発達障害とか言い始めた訳。

 

なんでわたしが「発達障害」と言い始めたのか。

 

 

何年か前に、ある日突然わたしの脳内に入って来た言葉だったの。

 

発達障害に関わる人のサポートしたいな」

 

 

その時は、別に自分が発達障害って診断された訳でもなければ

 

家族がそう診断された訳でもないのに

 

わたしなんかに何が出来るんだ。

 

 

そう思って、その想いはすぐに自然と脳内から消去されたの。

 

 

 

 

 

それから数年経った今

 

「発達障害」というワードが知り合いの口から出て来て

 

こころに、頭に、ドンピシャな感覚で入って来たんだよね。

 

 

 

 

今の社会には、暗黙のルールのようなものが在る。

 

そのルールの枠内に入ってれば「個性」として受け入れられ、

 

 

枠外にそれてしまうものは

 

「障害」「非行」「不良」「引きこもり」「不登校」

 

などのような、ネガティブっぽいワードで区別される。

 

 

 

そして、みんな悩むんだ。

 

どうにかして、自分を、我が子を「枠内」にフィットさせる方法はないか。

 

 

 

そして、あんまりにもフィット出来ないとき、

 

病院で発達障害である、と診断されることによって

 

「あ〜、だからか。違って当たり前なんだね」と安心する。

 

 

 

 

 

だけど、社会の枠外という位置づけが変わらないと

 

色んな場面で、障害と診断された自分には出来ないこと

 

子どもには出来ないことに

 

モヤモヤしたりするんだろう。

 

 

 

であれば。

 

社会の暗黙のルールってやつをぶち壊したらいいんじゃないのか。

 

そんなこと、簡単じゃんね。って根拠の無い確信が芽生えたんだ。

 

 

 

障害だろうが無かろうが、どーでもええ。

 

あなたが、あなたの子どもが障害とか何とかって、わたしには興味がない。

 

ありきたりにしか言えないけど、それは「個性」だよ。

 

 

 

それが個性として認識される社会にするには

 

政治家に頼ってても実現されない。

 

 

 

ここに居るわたしたちが意識を変えて

 

そんな社会を実現していくの。

 

 

 

本当の本当のところで

 

あなたとわたし、違ってていいんだね。

 

って事が腑に落ちたら。

 

 

それが腑に落ちる人が増えていけば

 

社会を変えるなんてチョロイはずなんだ。

 

 

 

出来る人が出来ることをやり合う、

 

協力し合うのが当たり前の社会になったらいいの。

 

 

 

 

子どもの将来を案ずるなら。

 

社会に不満を持ってる場合じゃない。

 

社会にフィットさせる方法を模索してる場合じゃない。

 

 

 

自分を認める。

 

他者を認める。

 

 

 

まずは、ママ。

 

わたしたちから、始めるんだよ。

 

 

 

 

でねー、誤解を恐れずに言うけど

 

どんなに隠してたってね、みんな個性的なんだよね。

 

 

どんなにスゴい人だって、出来ることもあれば出来ないこともある。

 

どんなに稼いでる人でも、本読めない人、人の話聞けない人、

 

なんかに没頭したら抜けられない人、片付けられない人、

 

山ほどいるぜ?

 

 

いわゆる、常識はずれ的な言動しちゃってたりもする。

 

だから、わたしに言わせると、

 

生きてる人、みんな発達障害やから!!!

 

だからね、発達障害に悩んでる暇あったら、社会変えるの手伝ってくれない?

 

 

 

今年のどっかのタイミングで

 

何かしらの法人組織立ち上げるからね!(ざっくり雑な宣言)

 

 

よろしくね!

 

lucy